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平成30年 片山定期能 1月公演
2018年1月21日(日) 昼12:30開演
京都観世会館

能  西行桜  青木道喜

狂言 寝音曲  小笠原匡
能  葵上 梓之出 橋本忠樹  ほか

■能楽タイムズ~掲載のレビュー■
一月二十一日、片山定期能(京都観世会館)で青木道喜「西行桜」。冒頭、ワキ・西行(宝生欣哉)がアイ・能力(小笠原匡)を呼び、規矩正しいやり取りに静謐な空気を醸成する。そこへドヤドヤとワキツレ・花見の一行が登場。悪意はないが空気は乱れる。結論的に、西行が「あたら桜のとがにはありける」と言うのも当然だ。
万全の状況が整えられたところで作リ物からシテの第一声。強くビブラートをつけ、静かだが強烈にアピールする謡で耳目を引き付ける。以下、ワキとのやり取りの中、「さて桜のとがは何やらん」「おォそれながらこの御意こそ」「花に浮世のとがはあらじ」と決定的なセリフに千金の重みがあって、理屈以前に西行が位負けするような、只ならぬ存在感を発揮した。
クセの直前、何ともなく立つ姿の、舞台に根の生えたような盤石の姿勢にも大きな意味がある。クセも序之舞も、取り立てて目立つ型があるわけではないが、踵をほとんど浮かせることなく体重移動を繰り返す一足一足が重力を生み、左右や打込ミといった定型の一つ一つに重みがある。舞事の本質は、正にここにあると痛感した。
四番目物の劇能は理屈抜きに楽しめるし、鬘物の夢幻能なども根底に明解なストーリーがあって感情移入しやすい。しかしさほどの劇的展開があるとも言えず、派手な動きもないこの種の曲こそ、役者の地力が試され、能という舞台芸能の真価が問われる。そこで技芸偏重に逃げることなく、何も変わったことをせずに、身体性を基調に稀有な存在感を発揮して、ワキを、観衆を神秘体験に巻き込んでいく。新奇な試みや劇的な舞台が持て囃される当世にあって、この日の舞台は一石を投じたものと私には感じられた。
※澤木政輝「〈関西の舞台から〉『養老』は『護法型』か」/『能楽タイムズ』平成30年3月号より)